豊臣秀長兄弟について サーチ透視!

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B662−005 豊臣秀長について サーチ透視!

豊臣秀長について サーチ透視! 2026年(令和8年)1月3日公開

新年明けましておめでとうございます!

本年も宜しくお願い致します。

今年から霊視→サーチ透視と名称変更しました。


織田信長と豊臣兄弟が出会った勝幡城

織田家三代がこの城からスタート

はじめに

明日1月4日から始まる

NHK大河ドラマ”豊臣兄弟”

主役の豊臣秀長について

サーチ透視調査。

サーチ透視とは

ニュータイプ(霊能者、超能力者)

のテレパシーによる調査の事。

【サーチ透視・調査の結果】

秀長公と歓談(巫女経由で会話)しますと・・・

なんと秀吉公に毒を盛られて暗殺されたと語っていました。

亡くなる半年前から毒を入れられたとか

驚くべき事です。

どんな関係でしたか?の質問に

“子供の頃から秀吉公には嫌われ

ていたので凄く気を使っていた”そうです。

織田信長公からは”好かれていた”そうです。

秀吉は頭がよく自分の子供に関白を

譲り天下を独占したいと考えた様です。

そのために色々な策略を行ったとの鑑定結果

※余談

太閤検地や南都の寺院勢力、和歌山の鉄砲が

強かった雑賀衆などまた四国平定、九州平定などは

秀吉がやった様に言われているが実は秀長によるものだった。

よって、秀吉から見ると最も優れた家臣であり

ライバルだった。そこで毒殺を命じた可能性がある。

その後、千利休、豊臣秀次などの

家臣を一掃している。

勝幡城 当時の模型

<<歴史的には>>

歴史をよく調べてみますと小田原城包囲の時には

圧倒的な軍事力で圧倒した秀吉軍。

その時、秀長は病気で大和郡山城にいたとか

秀吉は小田原城の帰りに大和に寄り

秀長と面会それが最後になった。

秀長の後継の豊臣秀保もいきなり

亡くなり葬式もなかったとか・・・

豊臣秀次は謀叛の疑いで切腹を命じ

られて妻、側室16名が京都三条河原で処刑。

(※三条に処刑場所があって通りがかったことがある)

豊臣秀俊も秀次の後継で関白になる

予定だったのに小早川家へ養子に出

されて小早川秀秋と改名。

いずれも秀吉の子秀頼が生まれた

ことで後継者がいずれも消された。

分析しますと秀吉による陰謀が納得できる。

また、

関ヶ原の戦いの時、小早川秀秋が裏切ったのは、

やはり上記内容で本当は自分が関白になる予定

だったのに秀吉によって左遷された恨みがあった様ですね。

またその動きに加勢したのは秀長の家臣だった様ですね。

それによって関ヶ原は秀吉側が敗北したと言うことですね。

 

<<秀吉の行動分析>>

本能寺の変の直後、明智光秀との戦の前に

信長は死んでいないと嘘をついて軍勢の加勢をしてもらい

 それで勝った経緯がある嘘をついた事よって

一時的な勝利は得たが そのカルマは消えない。

 必ず自分に返ってくる。それが豊臣家の滅亡になった。

 歴史はやはり嘘をつかない。

豊臣秀頼は実は秀吉の子供ではなく

淀君の尾張時代からの側近の家臣

との間に生まれた子の可能性。

当時の資料から身長185cmもあり

秀吉とは全然違う身体だったことと

顔が似ていないなど秀吉の子供ではなかった事が

噂されて淀君と秀頼は周囲の支持を

得られなかった可能性がある。

続きは有料版へ


https://note.com/azankhya/n/nf1152cf50a4a

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